2012年12月4日火曜日

イエローサブマリン

何度も何度も目の前でゴールしてくれて叫ばせてもらいました。
思えば元々YAMAHAモーターサイクル好きの俺がYAMAHAサッカーに魅せられたのは90年に筑波大から入社した新人の爽快なパフォーマンスだった。

最初は「あれ?なんかコイツ凄くね?」から始まり、そのうち世はJリーグブームなれど初年度参入が認められなかったJubiloではJFLからの代表入り、ドーハでのゴール。オフトが途中で武田と入れ替えたときからの嫌な予感の的中。

ゴールとはこんなに意図も簡単に入るものかと思わせられた98年のリーグ得点記録は、ワールドカップでの骨折を挟む出場で作った物凄いもの。以後この記録は未だに破られていない。
同年のジェフとのナビスコ決勝ではメインスタンド後ろの席に声援を送らせて貰ったっけ。

1997~2002のシーズンでは本当にどの試合でも中山雅史がいれば負ける気がしなかった。
何度も引退レベルの怪我をしながら蘇ってきては熱いゴールを魅せてくれたこと、試合後にはどんなに疲れてもスタンドと一丸となって踊ってくれたこと。

あのイエローサブマリンはずっとずっと忘れないことでしょう。


中山雅史 

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